中森明菜と近藤真彦の真相|金屏風会見の闇と破局、2026年現在の関係

中森明菜と近藤真彦の真相|金屏風会見の闇と破局、2026年現在の関係

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事態が最悪の局面を迎えたのは、1989年7月11日の午後4時過ぎのことでした。東京都港区六本木にあった近藤真彦の自宅マンション浴室で、中森明菜が左肘の内側を鋭利な刃物で深く切りつけ、血まみれになって倒れているところを帰宅した近藤によって発見されたのです。慈恵医科大学病院へ緊急搬送された明菜は、深さ2センチ、長さ8センチに及ぶ腱と神経を断裂する重傷を負っており、約6時間におよぶ大手術によって一命を取り留めました。

世間が蜂の巣をつついたような大騒ぎとなる中、明菜は長期の入院と静養を余儀なくされ、歌謡界の表舞台から完全に姿を消しました。そして、事件から半年が経過した1989年12月31日午後10時、日本中がNHK『第40回紅白歌合戦』の生放送に釘付けになっていた裏番組の時間帯に、新高輪プリンスホテル「飛天の間」で突如として緊急復帰記者会見が開かれました。

テレビ中継のカメラが捉えた会見場の中央には、慶事の象徴である「金屏風」が堂々と立てられていました。集まった報道陣やテレビの前の視聴者は「まさか結婚の発表なのか」と息を呑みました。しかし、現れた明菜はショートカットに地味なグレーのスーツ姿で、うつむきながら涙を流し、痛々しい姿を晒したのです。

会見が始まると、中森明菜は憔悴した表情で「一番大切な人、信じていた人に一番ひどいことをしてしまった」と自殺未遂の動機を自らの過失として謝罪し続けました。その後、遅れて同席した近藤真彦は落ち着いた様子で着席したものの、詰めかけた芸能記者から「結婚の準備のための会見ではないのか」「婚約の予定は?」と核心を突かれると、きっぱりとこう言い放ちました。

「そういうことは、まったくありません」

この一言によって、会場の空気は凍りつきました。結婚発表はおろか、公の面前で一方的に求婚を打ち砕かれ、ただ謝罪だけを強いられた歌姫の姿は、多くの人々に異様な後味の悪さを残しました。

中川 明日香
著者

中川 明日香

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。