2004年夏、お茶の間に激震が走りました。常に大声で笑いを届けていたこん平の喉に異変が生じ、声が出にくくなったのです。当初は「声帯結節」と発表され、一時的な休養と見られていましたが、病状は好転せず、精密検査の結果、厚生労働省指定の特定疾患である多発性硬化症(MS)であることが判明しました。中枢神経に炎症が生じ、視力障害や運動麻痺、言語障害などを引き起こす原因不明の難病です。
番組降板の真相を巡っては、当時さまざまな憶測が飛び交いましたが、実際の現場は想像を絶する過酷さでした。手足の自由を奪われ、声さえも思うように出せない絶望の中、彼を精神的・肉体的に支え続けたのが、次女の笠井咲さんをはじめとする家族でした。咲さんは自著やメディアのインタビューにおいて、「病室で声を失いかけても、父は筆談やわずかな身振りで人を笑わせようとしていた」と回想しています。
医師からは「再び立ち上がることや話すことは極めて困難」と宣告されながらも、こん平は過酷なリハビリに挑み続けました。日本テレビ系『24時間テレビ』の特番などで車椅子姿で公の場に登場した際、震える右手を懸命に掲げ、絞り出すように「チャラ…ーン!」と叫んだシーンは、日本中を涙と感動で包みました。病魔に冒されてもなお、彼は最期まで「落語家・林家こん平」としてのプライドを捨てませんでした。