近代社会学の巨人マックス・ウェーバーは、名著『職業としての政治』のなかで「心情倫理」と「責任倫理」を峻別した。どれほど高潔な動機を持っていようと、生み出された悲惨な結果から目を背ける態度は通用しない。自らの行動が引き起こす予見可能な結末に対し、弁解の余地なく引き受ける覚悟。これこそが成熟した指導者に求められる冷徹なリアリズムだ。
一方で、技術文明の暴走を予見した哲学者ハンス・ヨナスは、この議論を時間軸の彼方へと拡張した。ヨナスが提唱した「未来への責任原則」は、まだ見ぬ次世代や地球環境に対する非対称な配慮を求める。親が生まれたばかりの赤ん坊に対して無条件の庇護義務を負うように、圧倒的な技術力を持つ現代人は、未来の生存基盤を守る義務があるという主張だ。目先の四半期決算だけに追われる近視眼的なビジネスモデルは、思想の原点からもはや破綻を宣告されている。