片山東熊の生涯における最大のモニュメントが、10年の工期と当時の国家予算規模に匹敵する巨費(約510万円、現在の価値で数百億円相当)を投じて1909年に完成した旧東宮御所(現在の迎賓館赤坂離宮)です。
日本初の本格的鉄骨補強レンガ石造を採用し、自家発電設備や暖房換気システム、最新の衛生配管を完備した最高水準のハイテク宮殿でした。しかし、完成直後に片山を待ち受けていたのは予想外の苦悩でした。
質素倹約を旨とした明治天皇が視察された際、「贅沢すぎる」「これでは住むには不向きである」という趣旨の感想を漏らされたという逸話は広く知られています。実際、皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)も住まいとしてはあまり使用されず、片山はこの批判に深く心を痛め、完成後に体調を崩したと伝えられています。
しかし、建築史家や構造専門家の検証によれば、この宮殿は単なる住居ではなく「西欧列強と同等以上の国家主権と文化水準をアピールするための外交ステージ」として設計されたものでした。関東大震災でも倒壊を免れた屈強な構造体と、細部にまで日本の伝統工芸技術を散りばめた芸術性は、戦後に「国の迎賓施設」として見事に生まれ変わり、昭和・平成・令和を経て世界中の賓客を迎える舞台としてその真価を証明しています。