昭和後期、三公社五現業は深刻な構造的疲弊に直面していました。特に国鉄は、自動車や航空機の普及に伴うモータリゼーションの進展、非採算ローカル線の拡大、運賃値上げの凍結、そして度重なる順法闘争による利用者の信頼失墜が重なり、年間1兆円を超える赤字を垂れ流す財政破綻状態に陥っていました。
この危機的状況を打破したのが、1980年代前半に発足した中曽根内閣の行政改革です。中曽根康弘首相は、経団連名誉会長であった土光敏夫氏を第二次臨時行政調査会(土光臨調)の会長に据え、「増税なき財政再建」を旗印に掲げました。
土光臨調が導き出した結論は、親方日の丸体質の打破と市場競争の導入でした。まず1985年に電電公社と専売公社を民営化。そして1987年4月、約37兆円もの巨額累積債務を抱えていた国鉄を6つの地域旅客鉄道会社と1つの貨物鉄道会社へと分割民営化する断行に踏み切りました。
当時、官僚機構や組合幹部からは激しい抵抗の声が上がりましたが、政治の強力な主導力と「国民負担の限界」を訴える世論の後押しにより、戦後最大の組織解体は完遂されたのです。