乾くるみが仕掛けた叙述トリックの真髄は、カセットテープの構造を模した「Side-A」と「Side-B」という章立てにあります。読者は無意識のうちに、Side-Aを「静岡での出会いと甘い恋(過去)」、Side-Bを「東京転勤後のすれ違いと破滅(未来)」という直線的な時間軸として受け取ってしまいます。しかし、作中に提示された日付や曜日、当時の流行歌を冷徹に照合していくと、驚愕の事実が浮かび上がります。
Side-AとSide-Bは、1987年7月から12月までの「全く同じ時間」を並行して描いた物語でした。
真相のタイムラインは以下の通りです。マユはもともと、慶應義塾大学卒でスマートなエリートサラリーマン・鈴木辰也(辰也=たっくん)と付き合っていました。しかし1987年7月、辰也が東京本社へ異動となり、静岡と東京の遠距離恋愛が始まります。寂しさに耐えかねたマユは、辰也が東京にいる週末の7月下旬、静岡で行われた合コンに参加。そこで出会ったのが、理学部数学科の純朴で太った大学生・鈴木夕樹(夕樹=たっくん)でした。
マユは、辰也の不在を埋めるかのように夕樹を誘惑し、自分好みの男へと改造していきます。金曜の夜や週末、辰也が静岡に帰ってくる日は辰也と過ごし、辰也が東京にいる平日の夜や来られない週末には夕樹と逢瀬を重ねる。読者が「1人の男の成長と変貌の記録」だと思い込んでいたものは、実は「1人の小悪魔的な女性が、同じ静岡の街で2人の『たっくん』を同時に飼い慣らしていた二股の記録」だったのです。