鐘が鳴るなり法隆寺の作者は?漱石との絆や東大寺説の真相を解剖

鐘が鳴るなり法隆寺の作者は?漱石との絆や東大寺説の真相を解剖

鐘が鳴るなり法隆寺の作者は?漱石との絆や東大寺説の真相を解剖の具体的な内容に迫る! 専門的な視点でまとめました。

では、名句誕生の瞬間とされる奈良滞在では、具体的に何が起きていたのでしょうか。子規が遺した記録や関係資料をもとに、1895年10月の足取りをたどります。

松山を出発した子規は、大阪・京都を経て、10月24日から27日にかけて奈良に滞在しました。このとき子規は、奈良市街の旅館「天野屋」に投宿しています。そして10月24日、あるいは26日に、法隆寺方面への探訪を行いました。

この旅の様子は、後に子規が執筆した名随筆『くだもの』(1901年発表)の中で次のように生き生きと振り返られています。

法隆寺に参詣した子規は、歩き疲れて境内の茶店(茶屋)に立ち寄りました。大の甘党で知られ、重病の身でありながら一度に何個も果物を平らげるほどの柿好きだった子規は、そこで名物の御所柿(ごしょがき)を注文します。愛嬌のある茶店の給仕の娘が柿を剥いて出してくれ、それを美味しそうに口へ運んでいたその瞬間、遠くから重々しい梵鐘(ぼんしょう)の音が響き渡った——。

「柿を食ひながら鐘の音を聞く。これぞ秋の真髄である」という強烈な実感が、病床の疲弊した身体に染み渡り、あの17文字が一瞬にして立ち現れたと伝えられています。法隆寺境内で実際に鳴っていたのは、当時時刻を告げていた「西円堂(さいえんどう)の鐘」であり、現在もこの鐘は毎日時を告げ続けています。

渡辺 美咲
著者

渡辺 美咲

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。