猪と豚の違いを語る上で、ネット上でも最も多くの誤解が生じているのが、両者を人工的あるいは自然に交配させた「イノブタ」の存在です。
インターネット上の掲示板やSNSでは、「馬とロバの交配種であるラバと同じように、イノブタには子どもを産む能力がない(一代雑種である)」という情報がまことしやかに語られることがあります。しかし、これは完全な生物学的誤謬です。
馬とロバは染色体数が異なる(馬は2n=64、ロバは2n=62)ため、その子であるラバは精子や卵子を正常に形成できず繁殖能力を持ちません。これに対し、前述の通り東アジアのイノシシと豚は全く同じ「2n=38」の染色体構造を持っています。したがって、生まれたイノブタ(交雑第1世代:F1)は完全な生殖能力(妊性)を備えており、イノブタ同士の交配はもちろん、イノシシや豚と再交配(バッククロス)しても次世代、次々世代へと健康な子孫を残すことが可能です。
この生物学的特性は、産業面と環境面で全く異なる2つの現実を生み出しています。
産業面においては、猪の持つ「野趣あふれる旨味と引き締まった肉質」に、豚の「飼育しやすさと脂の柔らかさ」を掛け合わせた高級ブランド肉として各地で生産されています。和歌山県すさみ町の「イノブタ」や群馬県の「上野村いのぶた」などは、血統管理を厳格に行い、安定した肉質を供給することで高い評価を獲得しています。
一方で、深刻な問題となっているのが「野生下における遺伝子汚染と野生化イノブタの激増」です。過去の自然災害による畜舎の損壊や、過疎化に伴う耕作放棄地の拡大により、逃げ出した豚や放し飼いのイノブタが野生のイノシシと自然交雑を繰り返すケースが報告されています。豚の多産性(年2回以上の繁殖、1回に10頭以上を出産)の遺伝子を受け継いだ交雑種が山林に定着すると、生態系の破壊や農作物被害の急拡大を招くリスクがあり、野生生物保護と害獣対策の両面において深刻な課題として議論されています。