古典を学ぶ中で多くの読者が勘違いしやすいのが、つとめて漢字表記にまつわる問題です。現代語の感覚から「冬はつとめて」を「冬は精を出して勤勉に働くことだ」「冬は出勤するのが良い」と連想してしまうケースが後を絶ちません。
しかし、古文単語つとめては労働を意味する「勤める」とは語源が異なります。漢字表記を当てるならば「夙めて(つとめて)」です。「夙(しゅく)」という漢字は「朝早く」を意味する文字であり、「夙願(長年の願い)」や「夙夜(朝早くから夜遅くまで)」という熟語にも使われています。古語の動詞「つとむ(早起きする、朝早くから活動する)」の連用形が名詞化したものであり、「朝早く起きて行動する時間帯=早朝」を指す言葉として定着しました。
さらに、ネット上の解説などで見落とされがちなもう一つの盲点が、結びの白き灰がちになりてわろしという痛烈な批判です。清少納言はなぜ、暖かい昼の到来を喜ぶのではなく「みっともない」と断じたのでしょうか。
平安貴族の暖房器具である「火桶」や「炭櫃(すびつ)」は、朝一番の極寒期には真っ赤に熾きた炭が盛られ、視覚的にも機能的にもエネルギーに満ちています。しかし、昼になって気温が上がると、部屋が暖まるにつれて炭の表面には白い灰が積もり、赤々とした輝きを失っていきます。寒さに打ち勝とうとするピンとした緊張感が緩み、暖かさに甘えてダラダラと過ごす空気感。清少納言はその「緊張感の喪失」と「視覚的なみすぼらしさ」を鋭く嫌悪しました。美しいものを美しく描くだけでなく、だらしなく崩れた様を容赦なく「わろし」と切り落とす批評精神こそが、彼女の真骨頂なのです。