読者に凄まじい心理的衝撃を与えるのが、ヒロイン・成岡繭子の正体と本性の経緯です。Side-Aにおいて、マユは世間知らずで甘え上手、少しドジで処女を思わせるような「守ってあげたい理想の女性」として徹底的に描写されます。男性読者の庇護欲を刺激するその立ち居振る舞いは、鈴木夕樹の主観フィルターを通して描かれるため、読者もまたマユを無垢な天使だと信じ込んでしまいます。
しかし、客観的な事実関係を繋ぎぎ合わせると、その実態は恐るべきリアリストです。
マユは歯科衛生士としての職を持ちながら、男性に対する依存と選別のスキルを極めて高いレベルで使いこなしています。Side-Bにおいて、マユは辰也の子供を妊娠し、最終的に中絶するという痛ましい事態を経験します。辰也の冷淡な態度や中絶手術の孤独に耐える一方で、彼女はその空白期間に夕樹とデートを重ね、着実に精神的・物理的な保険をかけていました。
象徴的なのは「身代わりとしての夕樹」に対する容赦のなさです。マユが夕樹に買い換えさせた車(スターレット)やプレゼントさせたスニーカー、さらにはクリスマスイブに指定したシティホテルまで、すべてはかつて辰也と共有した思い出のトレース、あるいは辰也の代用品としての条件付けでした。本性を剥き出しにして激昂するのではなく、常に「弱くて可愛い女」の仮面を被り続けながら、生き残るために複数の男を同時飼育するマユの行動原理には、自己防衛が生んだ冷徹な生存戦略が垣間見えます。