『天文学者』を深く理解する上で避けて通れないのが、翌1669年頃に描かれたフランクフルト・シュテーデル美術館所蔵の『地理学者』との対比です。二作はキャンバスの寸法、左側からの採光、モデルの容貌、ヤポンセ・ロックの着用に至るまで瓜二つであり、対作品(ペンダント)として描かれたことは疑いようがありません。
対作品としての本質は、単なる「宇宙と地球」のモチーフ分けにとどまりません。注目すべきは『天文学者』の背後の壁に掲げられた絵画です。ここには旧約聖書のエピソードである『モーセの発見』が描き込まれています。モーセはエジプトの知識をすべて授かり、暗闇のなかで民を約束の地へと導いた指導者です。この劇中画が示唆するのは、「天界の真理を探求する天文学は、神が創造した宇宙の秩序を讃える敬虔な行為である」というカルヴァン派プロテスタント社会における科学観です。
天文学者は指先で天球儀を回転させながら、神が定めた天球の幾何学に思いを巡らせています。それに対し、『地理学者』は海図の上でコンパスを握り、ふと窓の外へ視線を投げかけ、未知の大海原へと乗り出す人類のフロンティア精神を表現しています。二幅を並べることで、フェルメールは「神が創りたもうた天の秩序」と「人間が開拓すべき地の現実」という、17世紀オランダの知識人が抱いた世界観の全容を描き切ったのです。