アルコール文化にまつわる最大の都市伝説が、お酒は鍛えれば強くなるという噂の真相です。昭和や平成の飲み会文化において、「最初は誰でも赤くなる」「吐きながら飲めば肝臓が鍛えられる」といった乱暴な根性論が頻繁に語られてきました。しかし、現代の分子生物学は、この言説を「極めて危険な生命への冒涜」として明確に否定しています。
先述の通り、ALDH2酵素の活性レベルはDNAの塩基配列(一塩基多型:SNP)で確定しており、後天的なトレーニングや慣れによって酵素の量や機能が増加することはあり得ません。DNAの設計図そのものが書き換わることはないからです。
では、なぜ「最初は顔が赤くなっていたのに、毎日飲んでいたら赤くならず量も飲めるようになった」と証言する人が実在するのでしょうか。この現象には、肝臓に備わる別の迂回ルートが関係しています。
常習的にアルコールを体内に流し込むと、肝臓内の小胞体に存在する「MEOS(ミクロソーム・エタノール酸化系:CYP2E1酵素など)」という代謝系が誘導され、エタノールそのものを分解するスピードだけが見かけ上加速します。その結果、血中アルコール濃度が上がりにくくなり、脳の麻酔状態(いわゆる酔っ払い感)に鈍感になります。
しかし、重大な盲点はここにあります。MEOSが活性化しても、生成された猛毒アセトアルデヒドを処理するALDH2の能力は据え置きのままです。むしろ、エタノールが猛スピードで分解されるため、体内には分解しきれない大量のアセトアルデヒドと活性酸素(フリーラジカル)が怒涛の勢いで蓄積されます。
「鍛えて強くなった」と感じている人の体内では、お酒に強くなったのではなく、「危険を知らせるアラーム(赤ら顔や不快感)が麻痺したまま、細胞がアセトアルデヒドの毒の海に浸され続けている」という致命的な倒錯が起きているのです。