学びて時にこれを習うの真意とは?「時に」の誤解と論語が教える実践知

学びて時にこれを習うの真意とは?「時に」の誤解と論語が教える実践知

学びて時にこれを習うの真意とは?「時に」の誤解と論語が教える実践知について押さえておきたい 事実を分かりやすい構成で解説いたします。

多くの人が学生時代に抱いた最大の違和感は、「復習することがなぜそこまで嬉しいのか?」という点ではないでしょうか。宿題や試験勉強の文脈で「習う=復習」と捉えると、この言葉は途端に押しつけがましい道徳訓に成り下がってしまいます。ここに、「学びて時にこれを習う 時にの意味」をめぐる決定的な誤解があります。

漢文学者の白川静氏の漢字字説や、南宋の大儒・朱熹(朱子)による『論語集注』の注釈を検証すると、単語の持つ本来のエネルギーが鮮明になります。

まず、「時に(時)」という漢字です。これを英語の「sometimes(時々・たまに)」と解釈するのは明らかな誤読です。古代中国思想における「時」とは、「時節(タイミング)が到来するごと」「その時に応じて」「常に適切な機会を逃さず」を意味します。つまり、頭に詰め込んだ知識を、現実の課題や状況が発生した瞬間に、すかさず応用して使ってみる姿勢を指しているのです。

さらに「習う(習)」という字の成り立ちを見てみましょう。「羽」と「白(自)」から成るこの文字は、「小鳥が巣立ちのために何度も羽ばたきの練習を繰り返す姿」を象った象形文字です。机に座って教科書を眺める受動的な暗記ではなく、身体を動かし、試行錯誤しながら技術や型を血肉化していく「実践トレーニング」を意味しています。

そして極め付きが「説(よろこ)ばしからずや」の解釈です。「説」は感情を表す「悦」と同字であり、外発的な刺激による一時的な興奮(Pleasure)ではなく、「自分の内奥からじわじわと湧き上がる深い充足感(Joy)」を指します。他人に褒められたから嬉しいのではなく、「昨日までできなかった実践が、今日自分の力でできるようになった」という成長実感が内面を突き動かすのです。

伊藤 翔太
著者

伊藤 翔太

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。