『春望』を真に理解する上で欠かせないのが、詩が詠まれた西暦757年春という過酷な時代状況です。唐王朝の繁栄を根底から覆した「安史の乱」は、755年冬に節度使の安禄山が蜂起したことから始まりました。わずか半年余りで玄宗皇帝は長安を捨てて蜀(現在の四川省)へと落ち延び、唐帝国の威信は音を立てて崩壊しました。
歴史史料『旧唐書』杜甫伝の記述や当時の記録を辿ると、杜甫は当時45歳。新帝として即位した粛宗のもとへ馳せ参じるべく単身で任地へ向かう途上、反乱軍に捕らえられ、荒廃した首都長安へと連行・軟禁されました。妻子を北方の鄜州(ふしゅう)に残したまま、身動きの取れない捕虜同然の身となった杜甫が目撃したのは、かつて人口100万を誇った国際都市の無残な破壊と略奪でした。
「国破れて山河在り」における「国」とは、現代の国家概念ではなく「首都長安とその都市機能」を意味します。人間が築き上げた壮麗な宮殿や秩序はあっけなく崩壊したにもかかわらず、春になれば山や河は何事もなかったかのように陽光を浴び、雑草ばかりが青々と茂る。この「無関心な自然の悠久さ」と「人間世界の儚く悲惨な破滅」の激烈な対比こそが、杜甫の胸を引き裂いた絶望の正体でした。