しかし、完全復活によって借金の完済に目処が立った1989年(平成元年)、二人の関係は突如として崩壊を迎えます。世間を驚かせた細木数子 島倉千代子 絶縁理由には、蓄積された主従関係の歪みと、決定打となった「信仰と先祖供養を巡るトラブル」が存在していました。
名曲の大ヒットにより自立の自信を取り戻した島倉に対し、細木は依然として絶対的な管理者として君臨し続けようとしました。発言やスケジュールを細かく制限される生活に、島倉は強い息苦しさを抱くようになります。そうした中で決定的な亀裂を生んだのが、いわゆる細木数子 島倉千代子 墓トラブルでした。
当時、すでに独自の「六星占術」や先祖供養の理論を確立しつつあった細木は、島倉に対して先祖代々の墓の改葬や、自身がプロデュース・指定する寺院・霊園への高額な供養塔・墓碑の建立を強く勧めました。「先祖の因縁を断ち切らなければ、再び地獄に落ちる」という細木の過激なアプローチは、島倉家を大切に守りたかった島倉千代子にとって、到底受け入れられるものではありませんでした。
島倉の関係者が後に証言したところによると、島倉は「私の歌も私の命も救ってくれたけれど、心や先祖の魂まで売り渡すことはできない」と涙ながらに周囲に漏らしていたといいます。興行面での恩義を感じつつも、精神の領域まで踏み込まれた島倉は、弁護士を立てて細木の事務所から独立。契約を解除し、二人は一切の連絡を絶つ完全な絶縁状態へと突き進みました。