読者の最大の関心事である「30歳の私」を名乗る手紙の差出人は、タイムトラベルによる未来の本人でも、超常現象でもありませんでした。手紙の正体は、章子と同じく過酷な境遇に喘いでいた同級生・荒木健斗が書いたものでした。
健斗自身もまた、重い知的障害を持つ兄の世話に追われるヤングケアラーであり、機能不全家族の中で心をすり減らしていました。そんな健斗が、教室で孤立し追い詰められていく章子の姿を目撃し、「彼女に生きる希望を与えなければ絶対に死んでしまう」という危機感から、架空の「30歳になった章子」になりきって手紙をポストへ投函し続けたのです。
本作には、この真実に至る巧妙な伏線回収がいくつも仕掛けられています。手紙に書かれていた「未来の出来事」が、章子の内情をリアルタイムで観察できる同じ学校の生徒だからこそ知り得た事実に基づいていた点や、章子が苦境に立たされるタイミングと手紙の届く間隔の符合など、再読時に背筋が凍るほどの緻密さで組み上げられています。
さらに驚くべきは、章子自身もまた「未来の健斗」を名乗り、健斗を励ます手紙を書いていたという双方向の構図です。過酷な現実を生きる2人の子どもが、互いの存在に直接触れ合うことができないまま、手紙という架空の未来を介して命綱を渡し合っていたという事実は、ミステリーとしての驚きとともに胸を締め付ける切なさを放ちます。