現在でこそ「宮崎アニメに久石音楽あり」という関係性は絶対的な信頼関係で結ばれていますが、制作当初、宮崎駿監督が久石譲氏に下していた評価は極めてドライかつ警戒心の強いものでした。
当時、映画音楽の候補にはすでに実績のあった有名作曲家たちの名が挙がっていました。しかし、プロデューサーの高畑勲氏がたまたま手渡された久石氏の『ナウシカ・イメージアルバム』を聴き、そのミニマル・ミュージックを基調とした鋭利な感性に衝撃を受け、宮崎監督に強く推薦したことが始まりでした。
現場の関係者記録によると、宮崎監督は当初、アニメーションの劇伴にシンセサイザーの電子音が多用されることに対して強い拒絶反応を示していました。「電子の冷たい機械音で、ナウシカの泥臭い世界観を描き切れるのか」という疑念です。対する久石氏は、宮崎監督の描く膨大な絵コンテを読み込み、ナウシカが背負う「過酷な孤独」と「自然への畏怖」を表現するためには、伝統的なオーケストラだけでなく、シンセサイザーの無機質さとアコースティックな民族楽器の融合が不可欠であると熱弁しました。
完成した本編映像と音楽が合わさった瞬間、宮崎監督の態度は一変しました。試写会を終えた宮崎監督は久石氏のもとに歩み寄り、深く一礼してその圧倒的な表現力を絶賛したといいます。以降、『天空の城ラピュタ』『となりのトトロ』『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』に至るまで、宮崎監督の劇場長編作品すべての音楽を久石氏が一手に引き受ける契機となったのが、まさにこの『風の谷のナウシカ』という現場での闘争でした。