姨捨の斜面に立つと、眼下には蛇行する千曲川と信濃の山並みが広がり、澄んだ風が吹き抜けます。しかし、田の脇で石積みの補修作業を行っていた70代の地元農家の手記や生の声からは、過酷な現実が滲み出ています。
「観光客の方が『綺麗な景色ですね』と声をかけてくれるのは正直嬉しい。だが、作業用の軽トラックを止めようとした場所に、県外ナンバーの乗用車が無断で止められていて仕事にならない日が続くと、頭を抱えてしまう。あぜ道は土を盛って固めただけの繊細な構造です。重い機材を持った人が端を歩くだけで崩れ、水が漏れて下の田んぼまで台無しになる。一枚の田を守るのにどれだけの血汗が流れているか、ほんの少しでいいから想像してほしい」
一方で、長年この地を訪れている写真愛好家の側にも複雑な思いがあります。都内から通い続けている50代の写真愛好家は、特番インタビューの取材に対して次のように胸中を吐露しています。
「かつては農家さんと世間話をしながら、作業の邪魔にならない畦の端から静かにシャッターを切るのが暗黙のルールでした。しかし、SNSで『映える水鏡』として座標付きで拡散されてからは、棚田の歴史も農家の苦労も知らない層が一気に押し寄せてきた。夜中に大声で騒ぐグループや、私有地のあぜ道に勝手に入り込んでいく人たちを見ていると、同じカメラを持つ身として居たたまれない気持ちになります」
こうした双方の葛藤は、善悪の二項対立ではなく、「生業の現場」と「消費される観光空間」の境界線が曖昧になった現代の観光地が抱える共通の痛みと言えます。