公開当時からネット掲示板やSNS上で頻繁に見受けられたのが、「かたわれ時という言葉は、ヒロイン・三葉の地元である岐阜県飛騨地方の伝統的な方言ではないか?」という推測です。聖地巡礼ブームが過熱した際にも、現地の高齢者に「日常会話でかたわれ時と言うのか」と尋ねる旅行者の姿が散見されました。
岐阜県の郷土史料や飛騨地域の方言辞典を調査すると、そのような方言は過去にも現在にも記録されていません。飛騨弁において夕暮れ時を指す言葉は一般的な中部地方の方言と大きく乖離しておらず、「かたわれ時」を日常的に使っていた史実は存在しないのです。
劇中の糸守町は、飛騨地方の風土や風景を色濃く反映しながらも、新海誠監督が構築した架空の自治体です。宮水神社に伝わる「眉山神楽」や「組紐の技術」、そして「かたわれどき」という呼び名は、200年前に発生した「繭五郎の大火」によって古文書が全焼し、意味が失われたまま形骸化して残った糸守町固有の伝承として演出されています。つまり、飛騨弁という広域の方言ではなく、「糸守という閉ざされた共同体が記憶を喪失しながらも守り継いできた独自の言葉」という二重の虚構設計が施されていたわけです。