徳島が生んだ歴史上の人物を語るうえで、まず見直さなければならないのが三好長慶の功績です。かつて戦国軍記物などでは「主君を裏切り、将軍を追放した下剋上の典型」として否定的に描かれがちでした。しかし、一次史料の研究が進展した結果、長慶こそが「織田信長に15年以上先駆けて畿内政権を樹立した最初の天下人」であったことが学術的に定着しています。
長慶は現在の徳島県三好市あるいは藍住町で生まれ、阿波の水軍と武士団を率いて畿内へ進出しました。1550年代には現在の京都・大阪・奈良・兵庫にまたがる広大な領国を事実上支配し、室町幕府13代将軍・足利義輝を圧倒。長慶の先進性は単なる武力行使にとどまらず、キリスト教の布教容認、堺の会合衆(えごうしゅう)との経済的提携、連歌や禅宗を通じた洗練された文化政治にありました。合議制を重んじ、敵対者とも寛容に和睦を結ぶ統治スタイルは、後の信長のような苛烈な粛清とは一線を画す「協調型の統合」であり、日本の都市経済を近代へと踏み出させる決定打となったのです。
時代が下り、近代科学の黎明期において世界レベルの金字塔を打ち立てたのが、長井長義(ながい・ながよし)です。「日本薬学の父」と称される長井は、阿波国名東郡常三島村(現・徳島市)の藩医の家に生まれました。明治政府の第1回国費留学生としてドイツへ渡り、有機化学の泰斗アウグスト・ヴィルヘルム・フォン・ホフマンに師事。1885(明治18)年、漢薬「麻黄(マオウ)」から気管支喘息の特効薬となるアルカロイド「エフェドリン」の単離に世界で初めて成功しました。
エフェドリンは現在も咳止め薬などに広く配合されている必須医薬品です。長井の功績はそれにとどまらず、帝国大学(現・東京大学)薬学科の初代教授を務めて日本薬学会を創設したほか、「女性にも高度な科学教育が必要である」と主張し、日本女子大学の創立事業にも深く関与しました。自著や当時の講義録で長井が遺した「科学に国境はない。しかし科学者には祖国がある」という言葉は、基礎科学の自立を目指した強い信念を今に伝えています。