原泰久氏が描く『キングダム』において、規格外の身体能力と死を恐れぬ突撃力で平地の軍勢を圧倒する山の民。読者が真っ先に抱く「彼らは史実に実在したのか」という疑問に対し、歴史考証の観点から切り込むと、驚くべき事実と創作の見事な融合が浮かび上がってきます。
中国の古代正史『史記』の「秦始皇本紀」などを紐解くと、楊端和(ようたんわ)という人物は実在した秦の将軍として明確に記録されています。紀元前238年に魏の衍氏(えんし)を攻め、紀元前229年には王翦や羌瘣らとともに趙の国都・邯鄲(かんたん)を包囲した功績が記されています。しかし、史料上の楊端和は「秦国の生え抜きの男性武将」として扱われており、山界の女王や異民族を統べる王であったという直接の記述は存在しません。
では、あの強烈な「山の民」という存在は完全なファンタジーなのかといえば、決してそうではありません。そのルーツは、当時の中国大陸の西方から北方の山岳地帯に暮らしていた「西戎(せいじゅう)」「氐(てい)」「羌(きょう)」と呼ばれる諸民族にあります。
秦という国家自体、もともとは周王朝の西の辺境で馬を育てていた一族であり、西戎諸族と激しく衝突し、時に混血・同化しながら強大化していった歴史を持っています。作中で語られる「秦の始祖・穆公(ぼくこう)と山の民の盟約」は、穆公が西戎の覇者となり「西戎八国」を服属させた史実を下敷きにしており、歴史のダイナミズムをエンターテインメントへと昇華させた設定といえます。
また、ファンの間で混同されがちな「山の民」と鄴(ぎょう)攻略戦に登場した「犬戎族(けんじゅうぞく)」の違いについても明確な線引きが必要です。犬戎族はかつて西周の首都・鎬京(こうけい)を攻め落とし、周を東遷へと追い込んだ伝説的かつ凶暴な古代民族の末裔です。楊端和傘下の山の民が「山界の王のもとに結束した連邦組織」であるのに対し、橑陽(りょうよう)の犬戎族は長年趙の地下都市に閉じ込められ、恐怖支配によって従属させられていた孤立勢力という決定的な差異があります。