Q1:徳川吉宗はなぜ「米将軍」と呼ばれるようになったのですか?
A1:幕府財政の基盤であった米の価格を安定させるため、大坂・堂島米会所を公認して先物取引を制度化し、新田開発や定免法の導入など米の生産・流通・価格コントロールに極めて注力したことから、庶民や武士の間で「米将軍」と呼ばれるようになりました。
Q2:時代劇『暴れん坊将軍』のように町へお忍びで出歩いていたのは本当ですか?
A2:町人「徳田新之助」として市井に潜入し悪人を成敗したのは完全な創作(フィクション)です。ただし、吉宗は形式にとらわれず鷹狩りや日光社参などを口実に頻繁に江戸近郊へ出かけ、農村の実態や治水状況を直接視察する行動派将軍であったことは史実です。
Q3:徳川吉宗の死因は何ですか?
A3:当時の記録から「中風(ちゅうぶう)」、すなわち現代の脳卒中(脳梗塞または脳出血)が直接の死因とされています。晩年は右半身麻痺などの後遺症を抱えながらも、大御所として幕政に関与し続けました。
Q4:目安箱を設置した本当の理由は何ですか?
A4:中間管理職である官僚層の不正や情報隠蔽を打破し、民衆の生の声や斬新な政策提案を直接吸い上げるためです。実際にこの投書によって「小石川養生所」の設置や「町火消の制度化」など、画期的な政策が数多く実現しました。