日本の山岳信仰の歴史を遡ると、定住農耕が定着した縄文晩期から弥生時代へと行き着きます。平野部に暮らす古代人にとって、天空へとそびえる山々は雨雲を呼び、生命線である清らかな水をもたらす「生命の源泉」そのものでした。春になると山から神が降りてきて「田の神」となり、秋の収穫を終えると再び山へと還って「山の神」になるという循環的な自然観が、日本人の心性の底流に深く刻み込まれていったのです。
社殿建築を持つ神社が一般的になったのは、6世紀に仏教が伝来し、壮麗な寺院建築に対抗するように神道側も常設の建築物を建てるようになってからの過渡期的な現象に過ぎません。それ以前の原始神道において、神は特定の場所に常住する存在ではなく、祭祀の折に山や巨岩、大木へと降臨する不可視の霊力でした。この本殿がない神社の理由は、建造物という人為的な器を設ける必要がないほど、背後の山そのものが圧倒的な神威を放つ実体として崇められていた証左にほかなりません。
ここで混同されやすい宗教概念の相違を整理しておく必要があります。古代祭祀の基礎となる重要なキーワードが「神体山」と「神奈備(かんなび)」、そして「磐座(いわくら)」と「磐境(いわさか)」です。
- 神体山と神奈備の違い:神体山が「山そのものを神の身体、あるいは実体」として不可分に捉えるのに対し、神奈備(甘南備・神名火とも表記)は「神が隠れ籠もる神聖な森や山、神が降臨する依り代となる美しい秀峰」という空間的・環境的な敬称を指します。
- 磐座と磐境の違い:山中や山頂に位置する磐座が「神が降臨して宿る巨石そのもの」であるのに対し、磐境は「神聖な祭祀場として巨石を環状や境界状に巡らせて結界を張った区画」を意味します。
神体山の由来と真相を探る上で欠かせない大神神社では、主祭神である大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が自らの魂を三輪山に鎮めるよう求めた神話が『古事記』や『日本書紀』に克明に記されています。三輪山の頂上付近には奥津磐座(おきついわくら)、中腹には中津磐座、山麓近くには辺津磐座が鎮座しており、山全体が重層的な祭祀空間として機能し続けているのです。