Q1:柳条湖事件の爆破による日本側の実際の被害はどの程度だったのですか?
A1:線路の爆破による被害は極めて軽微でした。破壊されたのは枕木数本と線路の継ぎ目約80センチメートル程度に過ぎず、爆破からわずか数十分後に現場を通過した大連発・長春行きの急行列車は何の脱線も損傷もなく通過しています。この事実そのものが、軍事的な被害ではなく単なる侵略の口実作りに過ぎなかった証拠とされています。
Q2:満州事変を起こした石原莞爾は、その後の太平洋戦争でどうなったのですか?
A2:石原莞爾は満州事変の成功で一躍英雄となりましたが、満州国建国後の対中国政策を巡って軍部内(特に東條英機ら)と激しく対立しました。石原は「満州の経済基盤確立を優先し、中国本土への全面侵略は避けるべき」と主張したため左遷され、日米開戦前の1941年に予備役に編入。皮肉にも太平洋戦争を指導することなく終戦を迎えました。
Q3:なぜ国際連盟脱退の勧告に日本は従わなかったのですか?
A3:日露戦争以来、莫大な戦費と将兵の犠牲によって獲得した「満州の特殊権益」を手放すことは、当時の日本政府・軍部・世論のいずれにとっても政治的に受け入れられない選択肢となっていました。内閣は現地軍を抑えられず、世論も「連盟の不当な干渉に屈するな」と沸騰していたため、国際協調よりも孤立を選んでしまったのが実情です。