古代日本の国家形成期を記録した『日本書紀』によれば、当時の政治環境は極めて流動的かつ緊張感に満ちていた。飛鳥時代の真っ只中、新進気鋭の勢力と古くからの豪族層が権力を巡って火花を散らしていた時代だ。
飛鳥朝廷が直面していたのは、国内の分裂を招く覇権争いと、東アジア情勢の緊迫化という二重の危機であった。法隆寺に伝わる様々な史料や金石文を紐解くと、太子が目指した国家像が浮き彫りになる。徹底的な対話を通じた合意形成の仕組みを提示しなければ、国家としての存立すら危うかったのである。権力者の一方的な命令ではなく、話し合いによる解決を制度化しようとした太子の構想は、当時の社会構造に対する過激なまでのイノベーションだったと言える。