インターネット上の検索動向やSNSの投稿を見ていると、「江戸城は明暦の大火で完全に消滅した」「明治維新で焼き払われた」といった誤認が少なからず見受けられます。しかし、これは明確な誤解です。
失われたのはあくまで「天守閣」というひとつの象徴的建造物であり、江戸城の本体である江戸城本丸御殿、二の丸、三の丸、広大な内濠・外濠、無数の櫓(やぐら)や城門は、大火後も再建されて幕末まで約210年間にわたり機能し続けました。
城郭としての統治機構は、政務を執る「表」、将軍が私用と対面を行う「中奥」、将軍の私邸であり正室や側室が暮らした「大奥」からなる本丸御殿が担っていました。さらに、天守閣の代用として機能したのが、本丸南西に現存する富士見櫓です。三重の優美な櫓であり、どの角度から見ても同じ形に見えることから「八方正面の櫓」と呼ばれ、歴代将軍はこの櫓から品川沖の海や富士山を眺め、事実上の天守として扱っていました。
では、城郭全体としての江戸城はいつ「なくなった」のでしょうか。決定的な節目は2つあります。
- 明治維新と江戸開城(1868年):15代将軍・徳川慶喜が大政奉還を行い、勝海舟と西郷隆盛の会談によって江戸城は無血開城されました。城は新政府に明け渡され、明治天皇の行幸とともに「東京城」、そして「皇居(宮城)」へと改称されました。
- 明治6年(1873年)の本丸御殿全焼:皇居として使用されていた旧本丸御殿(当時は皇居仮殿)が失火により焼失。その後、現在の吹上御所や宮殿エリアを中心とする近代的な皇室施設へと整備が進められたため、かつての御殿建築群は姿を消すこととなりました。
つまり、江戸城は「ある日突然なくなった」のではなく、「軍事要塞から政治の中心地へ、そして近代国家の象徴である皇居へと形を変えながら現在も同じ場所に息づいている」というのが歴史の真実です。