かつて日本各地で頻発した指定暴力団抗争事件の数々は、一般市民を巻き込む危険と隣り合わせの凄まじいものでした。なかでも昭和裏社会の転換点となったのが、山口組と一和会による「山一抗争(1985〜1987年)」です。
四代目山口組組長・竹中正久が大阪府内のマンションで一和会の刺客に白昼射殺された事件を引き金に、全国各地で繰り広げられた報復戦は300件以上の発砲事件、死傷者数十人に及びました。防弾チョッキを着込んだ武闘派組員が相手事務所にトラックごと突入し、大型自動拳銃やライフルを乱射する様子は連日ニュースで報じられ、日本中を恐怖の底に突き落としました。
これらの抗争劇の真相を探ると、単なる意地の張り合いだけではなく、広大な利権争いと「引けば組織が瓦解する」という極限の恐怖心が生み出した連鎖反応であることがわかります。武闘派幹部たちは一度抜いた刀を収めることができず、報復に次ぐ報復へと突き進んでいきました。しかし、この狂乱の血戦こそが、世論を「暴力団の徹底排除」へと大きく傾かせる決定打となったのです。