寛仁親王の型破りな行動力の根底には、三笠宮家の自由闊達な気風と、父である三笠宮崇仁親王からの強い影響があった。古代オリエント史学者としても知られ、「赤色宮様」とも呼ばれるほど学問的客観性と反骨精神を貫いた父の背中を見て育った殿下は、物事の本質を疑い、自らの頭で思考する冷徹なリアリズムを叩き込まれた。
皇族という特権的な身分に甘んじることを潔しとせず、常に社会における自らの機能的価値を問い続けた姿勢は、まさに三笠宮家の精神的遺伝子といえる。権威を笠に着ることを最も嫌った父子の生き様は、今も語り継がれている。