博物館網走監獄が誇る建築群の頂点に君臨するのが、明治45年(1912年)に建てられた「旧網走監獄 舎房及び中央見張所」です。平成28年(2016年)に国の重要文化財に指定されたこの木造建築は、中央の見張所(八角形の監視所)を中心に、5本の舎房が放射状に翼を広げる「五翼放射状平屋舎房」と呼ばれる世界的な行刑建築の傑作です。ジェレミ・ベンサムが提唱した「パノプティコン(一望監視方式)」の思想を木造平屋で具現化したもので、現存する木造刑務所としては世界最古の規模を誇ります。
しかし、ネット上の口コミや旅行者の感想において、本作はしばしば「リアルすぎて怖い」「空気が異様」と評されます。その恐怖の根源は、単に各所に配置された精密な蝋人形の不気味さだけではありません。この地に刻まれた受刑者たちの壮絶すぎる犠牲の歴史が、見る者に無言の圧迫感を与えるからです。
明治20年代、ロシア帝国の南下政策に危機感を募らせた明治政府は、北海道開拓と北方警備のための軍用道路「中央道路」の開削を急務としました。この突貫工事に投入されたのが、網走監獄に集められた1,000人を超える重刑徒たちでした。政府の真の狙いは過酷な労働による囚人の淘汰(「監獄費の削減と開拓の推進」という山県有朋らによる冷酷な功利主義)にあり、受刑者たちは逃亡を防ぐため2人1組で重さ数キロの鉄鎖で足首を結ばれたまま、原野を切り拓く重労働を強制されました。
栄養失調、過労、ヒグマの襲撃、そして猛威を振るった脚気により、わずか1年足らずの工事期間中に200名以上の受刑者が命を落としました。死者は十分な埋葬もされず、鎖をつけられたまま道路脇に土を盛って埋められ、そこが後に「鎖塚(くさりづか)」と呼ばれることになります。舎房に漂う静寂と重圧感は、近代日本のインフラ構築の礎として消えていった名もなき人々の怨嗟と痛恨の記憶そのものなのです。