宮沢りえさんのキャリアにおいて、歴史的転換点となったのが1991年11月に発売された写真集『Santa Fe(サンタフェ)』です。撮影を担当したのは、当代随一の写真家・篠山紀信氏。当時18歳、まさに国民的清純派アイドルとして頂点を極めていた少女のヘアヌード写真集は、日本中に前代未聞の衝撃を与え、累計発行部数155万部という出版史に残る大記録を樹立しました。
この歴史的企画の主導権を握っていたのも光子氏でした。篠山氏が生前のインタビューで明かした証言によると、光子氏は撮影先のニューメキシコ州サンタフェで「美しい今の姿を形に残すべき」と娘の背中を押し、躊躇するりえさんに対してプロフェッショナルとしての覚悟を促したとされています。単なる露出ではなく、一級の芸術作品として成立させるため、カメラマンの選定からロケーション、装丁に至るまで光子氏の冷徹な計算が働いていました。
一方で、光子氏のプロデュース手法はときに業界の倫理的境界線を揺るがしました。その象徴として語り継がれるのが、大御所俳優・森繁久彌氏とのエピソードです。映画の現場や社交の場で、娘を大物関係者に売り込むため、夜の席や部屋へ同伴させたとする過激な週刊誌報道が相次ぎました。真偽のほどは諸説あるものの、「どんな手段を使っても娘を凡庸なアイドルの枠に閉じ込めない」という光子氏の狂気的なまでの上昇志向が、世間に強烈なインパクトと警戒心を植え付けたことは間違いありません。