インターネット上の言説やビジネス書などで、まことしやかに語られる論説があります。「日本語は主語が抜け落ちやすく、文末まで結論が分からないため、論理的な思考やディベートには不向きな言語である」という言説です。しかし、現代の言語科学や認知心理学の知見に照らし合わせると、これは完全な誤解であると断言できます。
まず、言語そのものに「論理性の優劣」は存在しません。日本語の論理構造は、助詞(てにをは)の格表示システムによって非常に厳密に担保されています。例えば、「AがBをCに渡した」という関係性は、語順を「CにAがBを渡した」と入れ替えても論理的破綻が起きません。数学の数式のように、助詞というタグが項の役割を完全に決定しているため、意味論的な厳密さは英語やフランス語に引けを取らないのです。
「論理的でない」と誤解される本当の原因は、言語構造ではなく、高コンテクストなコミュニケーション様式と修辞(レトリック)の選択にあります。相手との直接的な衝突を避けるために「〜かもしれません」「〜という意見もあります」とぼかす表現を好むのは、言語の限界ではなく、日本社会における調和を重んじる対人戦略です。事実、日本の高度な学問体系、特許公報、法律文書はすべて日本語で極めて精緻に記述されており、概念を正確に定義する能力において何ら不足はありません。
また、母国語によって日本語の難易度が180度異なるという盲点も見過ごせません。英語やドイツ語などのインド・ヨーロッパ語族の話者にとって日本語は暗黒の迷宮に見えますが、語順がSOV型で膠着語であるトルコ語、モンゴル語、あるいは助詞体系や敬語体系の親和性が高い韓国語のネイティブスピーカーにとっては、文法的な習得難易度は極めて低く、半年〜1年程度で高度な運用能力を身につける例が珍しくありません。「日本語=世界一難しい」という通説は、あくまで西洋中心の言語観から生じた一面的な神話なのです。