鉄砲伝来の舞台となったのは、1543年(天文12年)8月の種子島(鹿児島県)南端にある門倉岬でした。明(当時の中国)の貿易船が一隻漂着し、そこに乗船していたのがポルトガル人商人たちでした。この船の主導権を握っていたのは後期倭寇の頭目として知られる中国人貿易商の王直(五峰)であり、通訳を介して島の人々との交渉が行われました。
当時の種子島領主は、わずか16歳だった種子島時尭(たねがしま ときたか)です。時尭はポルトガル人が実演した火縄銃の威力――轟音とともに遠方の標的を一瞬で撃ち抜く圧倒的な破壊力――を目の当たりにし、その軍事的価値を瞬時に見抜きました。時尭は家臣たちの反対を押し切り、2挺の火縄銃を金2000両という破格の大金で購入したと伝えられています。
なお、学生時代に誰もが暗記した鉄砲伝来の年号(1543年)の語呂合わせ・覚え方としては、以下のようなフレーズが今なお定番として親しまれています。
- 「以後予算(1543)が増える鉄砲伝来」(大金を使って鉄砲を購入・研究した史実になぞらえた覚え方)
- 「以後予算(1543)かかる火縄銃」
- 「銃(10)後(5)予算(43)鉄砲伝来」
時尭が下したこの果断な決断が、その後わずか数十年で日本の戦国乱世を根底から揺るがす引き金となりました。