出雲大社の祭祀を司る千家家を理解する上で欠かせないのが、天照大御神(アマテラスオオミカミ)の第二子である天穂日命にまで遡る出雲国造系図です。大国主大神(オオクニヌシノオオカミ)の国譲り神話において、大国主大神を祀る役目を託されたのが天穂日命であり、その子孫が出雲国造として代々祭祀を執り行ってきました。
歴史の転換点となったのは南北朝時代の末期です。第55代出雲国造であった千家清統(きよむね)の時代、出雲国造家は千家家と北島家の2家に分立しました。それ以降、江戸時代末期に至るまで、両家が交代で出雲大社の祭祀を司る体制が敷かれていた事実は歴史学上も広く確認されています。
明治維新を迎えると、政府の神道政策や近代社格制度の制定に伴い、千家家が出雲大社の専任宮司家として社務を預かり、北島家は宗教法人「出雲教」を主宰して神道布教を担うという役割分担が定着しました。現在の出雲大社宮司は第84代出雲国造・千家尊祐(たかまさ)氏であり、その長男として祭祀と伝統を背負う立場にあるのが千家国麿氏です。