論文のタイトルは『日本は侵略国家であったのか』。内容は、大東亜戦争(太平洋戦争)に至る過程において、日本が国際法に基づいて行動し、張作霖爆殺事件や盧溝橋事件の背後にコミンテルンの謀略があったとする主張や、日本軍の進駐がアジア諸国の近代化と独立を後押ししたとする論旨を展開するものでした。
この論文が公になった瞬間、当時の麻生太郎内閣および浜田靖一防衛大臣は迅速に反応しました。問題の本質は、論文の主張そのものの是非以上に「現職の自衛隊最高幹部が、政府の公式見解(1995年の村山富市首相談話など)と真っ向から対立する歴史認識を公に表明したこと」にありました。
民主主義国家における大原則である文民統制(シビリアンコントロール)を形骸化させかねない重大事案と判断され、発覚当日の夜に幕僚長職を解任(更迭)。防衛省内規に抵触する手続きの不備や、一般隊員に対して論文応募を呼びかけていた組織的関与も認定され、定年延長を繰り上げる形で退官処分となりました。
退官会見で田母神氏は「言論の自由は自衛官にもある」「間違ったことは書いていない」と毅然とした態度を崩さず、この鮮烈な退場劇が彼を一躍「保守派のカリスマ」として世に押し出す決定打となったのです。