この壮大な地質構造は、明治初期のひとりの外国人研究者によって見出されました。ナウマン博士と発見の歴史は、1875年(明治8年)にお雇い外国人として東京開成学校(現・東京大学)に着任したドイツの地質学者ハインリッヒ・エドムント・ナウマンが、過酷な山岳地帯を自らの足で踏査したことから始まります。
ナウマンは関東山地や八ヶ岳、南アルプスを歩き回り、驚くべき事実に直面しました。西南日本の山脈や古い岩層の並びが、本州の中央部で突然途切れ、直角に折れ曲がって深い谷へと落ち込んでいたのです。ナウマンは1885年の論文で、この巨大な地質学的窪みを「Fossa Magna」と命名し、日本列島がかつて真ん中で折れ曲がって引き裂かれた痕跡であると直感しました。
20世紀後半に入り、プレートテクトニクスと日本列島の理論が確立されると、ナウマンの直感は最新科学によって完全に裏付けられることになります。いまから約2000万年前、現在の日本列島はまだユーラシア大陸の縁辺部にありました。そこへマントルの対流によって強烈な引張力が働き、大陸のヘリがバリバリと音を立てて引き裂かれ始めたのです。
このとき、西南日本は時計回りに、東北日本は反時計回りに、まるで「観音開き」のように折れ曲がりながら太平洋側へ移動していきました。これが劇的な日本列島誕生の経緯です。引き裂かれた真ん中の裂け目には海水が流れ込み、深さ数千メートルの海峡が誕生しました。この海底に、長年にわたって泥や砂、火山の噴出物が分厚く堆積した基礎こそが、フォッサマグナの正体です。
さらに壮大なドラマは続きます。南太平洋からはるばるフィリピン海プレートに乗って北上してきた海底火山群(現在の伊豆半島や丹沢山地)が、約1500万年前から本州中央部に次々と激突しました。この強烈な押し込み圧力によって、海底に溜まっていた柔らかい地層がグシャグシャに押し縮められて隆起し、南アルプスなどの急峻な山々を形成したのです。西南日本を東西に貫いていた大断層である中央構造線とフォッサマグナの関係を紐解くと、諏訪湖付近で中央構造線が突如として行方不明になるのは、このフォッサマグナの沈降と伊豆の衝突によって、中央構造線自体が地下深くにねじじ込まれ、寸断されてしまったからです。