『春望』の核心であり、教科書や入試で必ず論点となるのが第3句「感時花にも涙を濺ぎ」の解釈です。なぜ詩人は、春を告げる花を見て涙を流したのでしょうか。その背景には、唐代を揺るがした未曾有の内乱「安史の乱(755〜763年)」という壮絶な政治的激震が存在します。
『旧唐書』杜甫伝などの史書によると、節度使・安禄山が蜂起した当時、唐の第6代皇帝・玄宗は長安を捨てて蜀(現在の四川省)へ逃亡しました。皇太子であった粛宗は霊武(現在の寧夏回族自治区)で即位し、反撃の機会を窺っていました。当時45歳前後だった杜甫は、単身で粛宗の陣営へ駆けつけようと試みましたが、道中で反乱軍に捕らえられ、占領下の長安に連行・軟禁されてしまいます。
官位が低かった杜甫は処刑こそ免れたものの、街中を反乱軍の兵士が闊歩し、かつて世界最大の国際都市として栄えた長安が灰燼に帰していくさまを、ただ無力に見つめるしかありませんでした。妻や幼い子どもたちは、遠く北方の鄜州(ふしゅう)に疎開させたまま。連絡網は完全に寸断され、家族の安否すら分からない極度の孤立状態に置かれていたのです。
この極限状態における杜甫の精神状態を、心理学の「愛着トラウマ」や「解離的防衛」の観点から分析すると、頷聯の凄絶なリアリティが浮き彫りになります。人間は耐え難い惨状と極度の緊張に長期間晒されると、周囲の刺激に対して過敏になり、日常の美しさや穏やかさを受け止めきれなくなります。街の至る所で死臭が漂い、略奪が横行するなか、春の訪れとともに庭先には何食わぬ顔で花が咲き誇り、鳥が求愛の声を上げている。人間界の凄惨な悲劇と、冷淡なまでに無関係に巡る自然界の営み。その圧倒的な落差が杜甫の心を打ち砕き、「花を見ても涙がこぼれる」という衝動を引き起こしたのです。
文学界では長年、この句について「花が時世を悲しんで涙を流した(擬人化説)」のか、「杜甫が時世を悲しんで花に涙をこぼした(主語=杜甫説)」のかという論争が続いてきました。しかし近年の文学受容論では、両者が一体となった感情移入の極致、すなわち自他の境界線が溶け出すほどの圧倒的な悲嘆の表出であったと捉える見解が主流を占めています。