B面に眠っていた楽曲が、なぜ7年の歳月を経て日本中を巻き込む大競作へと発展したのか。その導火線となったのは、大衆演劇のスター・梅沢富美男氏でした。
1982年、梅沢氏が自身の舞台で「下町の玉三郎」として女形を演じる際の劇伴音楽として、ちあきなおみ版の『矢切の渡し』を採用。妖艶な舞とちあきさんの切ない歌声が完璧に融合した舞台は大きな話題を呼び、TBSラジオの深夜番組などを起点に有線放送へのリクエストが爆発的に急増しました。
これを受けた日本コロムビアは、1982年10月にちあきなおみ版をA面シングルとして急遽再発売。すると、他レコード各社もこの潜在的なメガヒットの気配を逃すまいと、自社の看板歌手を投入して一斉にカバー音源をリリースする「競作戦争」が勃発したのです。
1983年にリリースされた主な歴代カバー・競作アーティストには、以下の豪華な顔ぶれが並びました:
- 細川たかし(日本コロムビア/大ヒットとなりレコード大賞受賞)
- 瀬川瑛子(クラウンレコード)
- 美空ひばり(日本コロムビア/アルバム収録)
- 春日八郎・藤野とし恵(キングレコード/デュエット版)
- 島倉千代子(日本コロムビア)
- 中条きよし(キャニオン・レコード)
同一レーベルであるコロムビア内で、ちあきなおみさんと細川たかしさんが競合する異例の事態となりましたが、プロモーション戦略やテレビ露出の頻度により、大衆への浸透度で細川版がリードする形となりました。