長年にわたりインターネット上や観光ガイドで「キキがほうきで飛んだ街」と紹介され続けてきたドゥブロヴニク。しかし、ジブリ公式見解モデル地を確認すると、スタジオジブリの公式書籍や『THE ART OF KIKI'S DELIVERY SERVICE』などの公式アーカイブにおいて、ドゥブロヴニクの文字は一切登場しません。
公式に記録されているのは、制作当時の1988年に宮崎駿監督をはじめとする主要スタッフがロケハン(現地取材)に訪れたスウェーデンの「ストックホルム」とゴットランド島の「ヴィスビュー」です。スタジオジブリの公式FAQでも、コリコの街のモデルとして明確にクレジットされているのはこの2都市のみとなっています。
では、なぜドゥブロヴニクがこれほどまでに強固な「聖地」として認識されるようになったのでしょうか。宮崎駿ロケ地インタビュー真相を検証すると、監督は「第二次世界大戦を経験しなかった、いくつかのヨーロッパの都市を複合させた架空の街」としてコリコを構想したと述べています。地中海やアドリア海の風景美、アイルランドやパリの建築要素が複雑にコラージュされた結果、ドゥブロヴニクの持つ視覚的特徴がファンの脳内でコリコの街のビジュアルと完全に合致してしまったのが実情です。