歴史の定説が根底から覆った直接のきっかけは、1999年1月に奈良国立文化財研究所(現・奈良文化財研究所)が発表した飛鳥池遺跡発掘調査の成果でした。奈良県明日香村に位置するこの遺跡から、30枚以上の富本銭とともに、鋳型や鋳棹(いざお=鋳造時に金属を流し込む湯道部分)、さらには失敗作の破片などが一括して出土したのです。
富本銭自体は、江戸時代の古銭書『和漢古今寳泉図鑑』(1694年)や『和漢古今泉貨鑑』(1798年)にも記録があり、近代以降も1969年の平城京跡をはじめ藤原京跡や群馬県の上栗須遺跡などで散発的に見つかっていました。しかし当時は出土層位が明確でなく、後世のまじない用具とする見解が根強く残っていました。それが1999年の調査によって、7世紀後半の工房跡の地層から生産用具とともにまとまって発見されたことで、国家的な主導のもとで計画生産されていた事実が動かぬ証拠として突きつけられました。
この大発見を受け、文部科学省の検定を経る教科書の世界は急速に動きました。考古学的な大発見から教育現場への反映には一定の検定サイクルを要するため、次のようなタイムラインで教科書改訂時期を迎えました。
【富本銭を巡る教科書改訂のタイムライン】
・1999年(平成11年)1月:飛鳥池遺跡から富本銭と鋳造関係遺物がまとまって出土したと公式発表。全国紙の一面を飾る大ニュースとなる。
・2000年(平成12年):高校の日本史教科書検定で富本銭に関する補注や本文言及が急増。山川出版社日本史などの主要テキストが注記欄を即座に更新。
・2002年(平成14年):中学歴史教科書の記述が新学習指導要領とともに全面改訂。東京書籍、教育出版、帝国書院などの主要教科書において、「和同開珎より古い貨幣」として富本銭の名称と写真が本格的に掲載開始。
・2006年(平成18年)以降:無文銀銭の学術的評価も定着し始め、「無文銀銭・富本銭・和同開珎」の3段階で貨幣史を解説するハイレベルな記述構成が一般化。
つまり、「和同開珎が最古」と刷り込まれていた世代は、おおむね2000年以前に義務教育を終えた層です。現在20代半ば以下の世代にとっては、富本銭は「知っていて当然の歴史的事実」としてインプットされています。