長男の悲劇的な死因を深く考察する上で、避けて通れないのが秋吉久美子の若い頃の経歴と家族構成です。1972年に映画のオーディションで才能を見出された彼女は、1974年に公開された藤田敏八監督の映画代表作『赤ちょうちん』で主演を務め、一躍時代の寵児となりました。続いて『妹』『青春の蹉跌』と名作に立て続けに出演し、当時としては極めて先進的な「しらけ世代」の気だるさと透明感あふれるエロティシズムを体現。現存する秋吉久美子の若い頃の画像・写真を見ても、その研ぎ澄まされた美貌と独特のまなざしは唯一無二のオーラを放っています。
歯に衣着せぬ自由闊達な発言でもメディアを騒がせ、「子供は卵で産みたい」という名言を残したことでも有名です。そんな彼女が1979年、25歳の時に電撃結婚した相手が、フォークグループ「青い三角定規」のメンバーであり作曲家として活躍していた元夫・岩久茂でした。ヒット曲『太陽がくれた季節』で知られる岩久との間に、同年、待望の男児(後の長男)が誕生します。
「秋吉久美子の子供は何人いるのか?」という疑問はネット上でも頻繁に検索されますが、生涯で出産したのはこの元夫・岩久茂との間に生まれた長男ただ一人です。しかし、人気絶頂期にあった秋吉の芸能活動は過密を極め、育児と女優業の両立は困難を極めました。長男は福島県いわき市にある秋吉の実家(両親)に預けられて育つこととなり、この物理的・精神的な距離感が、後の母子関係に複雑な影を落とすことになります。岩久茂とは1989年に離婚が成立し、長男の親権は秋吉側が持つ形となりました。