白昼堂々の凶行に及んだ犯人、飯田篤郎と矢野正計の動機は何だったのか。逮捕直後、飯田は「知り合いの老人から豊田商事に騙されたと泣きつかれ、義憤にかられてやった」「頼まれたから刺した」と供述しました。この発言から、当初は「全財産を奪われた被害者の無念を晴らすための仇討ち」という見方が一部で広まりました。
しかし、大阪地検による捜査と公判が進むにつれ、その美談めいた構図は脆くも崩れ去ります。実態は、飯田自身が多額の借金を抱えて経済的に困窮しており、暴力団関係者や右翼運動に近しい人脈の中で「永野を懲らしめれば、世間から英雄視される」「金銭的な見返りや利権が得られるのではないか」という歪んだ自己顕示欲と打算が入り混じった暴走であったことが法廷で明らかにされました。背後に永野の隠し財産強奪や口封じを企む組織的黒幕がいたのではないかという疑惑も浮上しましたが、裁判では2人の単独的・短絡的な共謀と認定されました。
裁判判決においては、被害者感情や社会的影響が考慮されつつも、法治国家における私刑(リンチ)は断じて許されないとして厳しく指弾されました。1986年の大阪地裁判決、そして控訴審を経て、主犯格の飯田篤郎には懲役10年、従犯の矢野正計には懲役8年の実刑判決が下され、確定しました。
刑期満了後の動向について、関係者の証言や追跡報道によると、両名は1990年代中盤から後半にかけてそれぞれ刑務所を出所しました。飯田篤郎は出所後、表舞台に戻ることはなく、晩年は健康を害して病気療養の末にすでに死去したと報じられています。一方の矢野正計も出所後は建設業界などの職を転々としながら一般社会に埋もれる形で生活を営んでおり、2026年現在では消息を公にすることなく高齢期を迎えているとみられます。