片山氏に子供がいない背景を読み解くには、彼女が歩んできた前例なきキャリアの軌跡を振り返る必要があります。東京大学法学部を首席で卒業し、国家公務員上級甲種試験および司法試験にダブル合格という超人的な学歴を引っ提げて、1982年に旧大蔵省(現・財務省)へ入省した片山氏。彼女はまさに「男女雇用機会均等法(1986年施行)」の前夜、旧態依然とした男性社会の頂点に飛び込んだパイオニアでした。
当時の霞が関、とりわけ予算編成を一手に担う主計局は、連日連夜の「不夜城」勤務が当たり前の過酷な職場環境でした。女性総合職が極めて稀少だった時代において、片山氏は女性として史上初となる主計官(建設・公共事業担当)に抜擢されるなど、男性官僚以上の成果を出し続けることを余儀なくされていました。産休・育休の制度はおろか、ワークライフバランスという概念すら存在しなかった1980年代から90年代の霞が関において、キャリアの中断を伴う出産・育児を選択することは、事実上「トップランナーからの脱落」を意味していた時代です。
自著や当時の回想録でも、文字通り身を削って国政の最前線で職務に邁進していた様子が赤裸々に語られています。20代から30代という出産適齢期のすべてを、国家財政の危機管理と激務に捧げざるを得なかった当時の構造的背景が、彼女の人生の選択に深く影響を与えたことは疑いようがありません。
その後、2005年の「郵政解散」において小泉純一郎首相に見出され、いわゆる「小泉チルドレン」「マドンナ刺客」として政界に転身。静岡7区での激戦を制して初当選を果たして以降も、休む間もなく選挙戦と政策立案に追われ続けました。自らの信念に基づき公の任務を最優先し続けた結果が、子供を持たない人生という現在のライフスタイルに結実しています。