明治から大正、昭和初期にかけて、資産家や政治家、文豪の家庭では、本妻と妾が同じ屋敷内で暮らす「同居」の事例が珍しくありませんでした。そこにあったのは、後世の創作物が描くような艶やかな情事ではなく、壮絶な心理戦争と抑圧です。
明治の啓蒙思想家・福沢諭吉は自著『福翁自伝』や『新婦人論』の中で、当時の富裕層が競って妾を囲う風潮を「人倫の恥辱」と激しく糾弾しました。本妻の面前で妾を同居させ、女性をモノのように扱う男性たちの身勝手さを痛烈に批判した記録は、当時の家庭崩壊の凄惨さを裏付けています。
また、文豪・森鴎外の家庭生活や政治家たちの残した当時の手記や私小説を検証すると、本妻と妾の複雑な力関係が浮かび上がります。本妻は「正統な女主人」としての威厳を保つ一方で、若さや寵愛を武器にする妾に対して激しい嫉妬と屈辱を強いられました。対する妾側も、男子を産まなければ即座にお払い箱となる恐怖や、雇い人のような扱いを受ける精神的苦痛に晒されていたのです。
現代の大手質問サイトやSNSの家系調査コミュニティでも、「亡くなった祖父の戸籍謄本を取り寄せたら、見知らぬ女性が妾として同居記載されていて戦慄した」「曾祖母が妾の子として本妻に冷遇された生前の悔し涙を語っていた」といった体験談が定期的に投稿されます。制度として廃止されてから1世紀以上が経過した現在でも、家族の記憶に深く重い影を落としています。