1962年11月、東京・日比谷の日活国際会館で開かれた二人の結婚披露宴は、招待客千数百名、費用数千万円という当時としては破格のスケールで執り行われました。誰もが「昭和最大のビッグカップル誕生」と確信した瞬間でしたが、その裏側には最初から修復不能な亀裂が組み込まれていました。
最大の問題は、二人が一度も法的な婚姻関係を結んでいなかったという事実です。世間には正式な夫婦として披露宴を中継しておきながら、戸籍上は生涯にわたって未入籍のままでした。この異様な事態を主導したのが、ひばりの実母であり個人事務所の社長でもあった加藤喜美枝です。
喜美枝にとって、ひばりは単なる愛娘である以上に、一族の生活と巨大なビジネスを一身に支える「奇跡の宝の山」でした。小林旭と結婚して家庭に入り、芸能界の一線を退くなど到底受け入れられる話ではありません。喜美枝は「ひばりはファンみんなのもの」「芸を捨てることは許さない」と強硬に主張し、入籍に必要な戸籍謄本を頑として小林側に手渡しませんでした。
小林旭は当時、妻には仕事をセーブして家庭を支えてほしいと願っていました。しかし新居には連日、母の喜美枝や取り巻きのスタッフが我が物顔で出入りし、新婚夫婦の水入らずの時間など皆無でした。小林が仕事から帰宅しても、リビングでは喜美枝主導の麻雀や宴会が夜通し行われ、夫婦の寝室のドアすら勝手に開けられる日常。プライベートの境界線を完全に踏みにじられた生活の中で、二人の精神的摩耗は限界に達していきました。