河口浅間神社がなぜこの地に鎮座しているのか。その起源は、平安時代初期の西暦864年(貞観6年)に発生した「貞観大噴火」にまで遡ります。
富士山の北西山麓から大量の溶岩が流出し、広大な湖であった「せの海」を埋め尽くして現在の青木ヶ原樹海を形成した未曾有の大天変地異。当時の朝廷は、噴火を霊峰の神霊たる浅間大神の怒りと捉えました。翌年の貞観7年(865年)、甲斐国側の住人を災禍から守り神の怒りを鎮める勅命が下され、富士山を北から仰ぎ見るこの地に祭壇が設けられたのが創祀と伝えられています。
御祭神は木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)。炎の中で皇子を無事に出産した神話から、古来より災難除け、安産、火防、縁結びの神徳として篤い崇敬を集めてきました。2013年に富士山が世界文化遺産に登録された際、当神社がその「信仰の対象と芸術の源泉」を構成する極めて重要な構成資産に位置づけられたのも、こうした噴火と共生しながら祈りを紡いできた生きた歴史が評価されたからです。