海が割れるメカニズムを成立させる上で、長年最大の障壁となってきたのが「地理的な位置関係」でした。通説では「紅海の奇跡」と呼ばれますが、現在の紅海(スエズ湾やアカバ湾を含む)は中央部の水深が数千メートル、沿岸部でも数十メートルに達する深海です。いかに猛烈な暴風雨が吹こうとも、外洋の深海を海底まで露出させることは物理学的に不可能です。
この矛盾を解き明かす鍵は、古代言語の翻訳過程にありました。ヘブライ語の原典に記されている単語は「ヤム・スフ(Yam Suph)」であり、正確な翻訳は「紅海(Red Sea)」ではなく「葦の海(Sea of Reeds)」です。紀元前3世紀頃に旧約聖書がギリシャ語に翻訳(七十人訳聖書)された際、翻訳者が「エリュトゥラー・サラッサ(赤き海)」と意訳したことから、後世に「紅海」としての誤認が広まりました。
古代エジプトの古地図やナイル川デルタ地帯の水系調査によれば、当時のスエズ地峡北東部(現在のマンザラ湖やティムサ湖、旧ペルシウム河口付近)には、パピルスや葦が生い茂る広大な浅水湖群が連なっていました。これらの浅水湖は水深が平均1〜2メートル程度であり、デルタ地帯特有の平坦な地形と東からの季節風が噛み合うことで、まさに流体力学モデルが示す「ウィンド・セットダウン」を引き起こす完璧な地形条件を備えていたことが判明しています。