この歴史的名曲の誕生は、決して順風満帆なスケジュールの中で計画されたものではありませんでした。作者である槇原敬之氏が当時の特番インタビューや自著などで明かした証言によると、SMAP側から楽曲制作の依頼を受けた際、当初は締め切りギリギリまで別の楽曲を書き進めていました。
しかし、提出予定日の前夜、槇原氏は書き上げたデモテープを聴き直し、「これは本当に自分がSMAPに歌ってほしい曲なのか」と激しい葛藤に襲われます。納得がいかなかった氏は、苦心の末に完成させたその楽曲を自らボツにする決断を下しました。肉体的にも精神的にも限界を迎えたまま床に就き、翌朝目覚めた瞬間、頭の中に突如として言葉と旋律が溢れ出してきたと振り返っています。
「パジャマのまま机に向かい、まるで誰かにノートに書かされているかのような感覚で、わずか数十分で一気に書き上げた」というエピソードは、ファンの間でも伝説的な誕生秘話として知られています。1999年の逮捕と活動休止を経て、深い自己内省と仏教思想などの精神的探求を重ねていた当時の槇原氏だからこそ、エゴを削ぎ落とした純粋な祈りのようなフレーズを結実させることができたと言えます。