名作『吾輩は猫である』は、もともと長編小説として構想されたものではありませんでした。明治38年(1905年)1月、高浜虚子が主宰する俳句雑誌『ホトトギス』に読み切りの短編として掲載されたのがすべての始まりです。当時、東京帝国大学や第一高等学校で教鞭を執りながら神経衰弱に悩んでいた漱石に対し、虚子が気晴らしとして創作を勧めたと伝えられています。
猫の視点から人間社会をユーモラスかつ辛辣に風刺した文体は、掲載直後から読者の熱狂的な支持を獲得しました。1回限りの予定だった連載は急遽継続が決定し、翌明治39年8月まで全11回にわたって執筆されることになります。一躍時代の寵児となった夏目漱石の処女作として、文壇にその名を轟かせた記念碑的作品です。