中島さんが闘病生活を送っていた約2年間、竹山さんはピンとしてテレビに出続けました。その間、竹山さんが所属事務所のサンミュージックに直談判して貫き通したのが「給料折半」です。
ピンで稼いだギャラを相方と50対50で分け合う決断をした理由について、竹山さんは後に「コンビで作った知名度で仕事をもらっているのだから当然」「中島が戻ってきたときに居場所をなくしたくなかった」と語っています。
さらに、中島さんには結婚したばかりの妻と幼い長男がいました。治療費と家族の生活費を支えるため、竹山さんは文字通り不眠不休で働き続け、相方の復帰を信じて舞台とテレビの最前線を守り抜いたのです。