多くの鑑賞者が抱く大きな疑問が、「なぜエッシャーは風景画や肖像画ではなく、このような奇妙な絵画を描き続けたのか?」という制作動機の部分です。 エッシャーは青年期、オランダのハールレムにある建築装飾美術学校で学びました。当初は建築家を目指していたものの、版画教師サミュエル・イェスルン・デ・メスキータに才能を見出され、グラフィックアートの道へ転身します。卒業後はイタリアやスペインを旅し、地中海の急峻な崖に建つ町並みや自然の幾何学パターンをスケッチする日々を送っていました。 転換点となったのは1936年、スペイン・グラナダのアルハンブラ宮殿の再訪です。イスラム建築特有の、壁面を隙間なく埋め尽くす緻密な幾何学模様モザイク(テセレーション=敷き詰め技法)を目の当たりにしたエッシャーは、狂気的なインスピレーションを受けます。「イスラム美術は宗教的制約から具象物を描かないが、自分なら鳥や魚、人間といった具体的なモチーフで空間を充填できるはずだ」と考えたのです。 さらに決定打となったのが、1950年代後半における数学者たちとの文通でした。英国の数学者ロジャー・ペンローズが父親のライオネル・ペンローズと共に発表した「不可能な図形」に関する論文に強い衝撃を受けたエッシャーは、手紙を通じてペンローズと直接アイデアを交換し始めます。 エッシャー本人は「私は数学の正規の試験に合格したことなど一度もない」と語っていましたが、数学者たちが数式でしか表現できなかった高次元の位相幾何学(トポロジー)や結晶群の対称性を、彼は驚異的な視覚的直感だけで木版の上に削り出していったのです。
エッシャーだまし絵の秘密と真相|『滝』『相対性』の不可能建築の謎
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